マルナゲ/天津 向さんインタビュー

「自分が思うほど、人は自分のことを知ってくれていない」お笑い芸人・天津向さんはお金をどう生み出している? | マルナゲ®

バラエティはもちろん、ドラマや情報番組と、あらゆる場で才能を発揮するお笑い芸人。生き馬の目を抜く芸能界でもとくに万能で、引く手あまたな存在です。しかし、それはごく一部の芸人のみ。才能があっても日の目を見ない人のほうが圧倒的に多いうえ、一度ブレークしても次につなげられないといったケースもザラです。 今回お話を聞いたお笑いコンビ・天津の向清太朗さんも、そんな時期を経験した芸人の一人。"売れていない時代"は、最高300万円の借金を抱えていたといいます。しかし、現在では年収800万円を超え、自叙伝も出版するほど! なぜ、ここまで再起できたのでしょうか? 経緯を伺いました。 向少年に衝撃を与えた"西のお笑い" ――そもそも、向さんが芸人を目指したきっかけは、何だったんでしょうか? さかのぼれば、中学生くらいのときに観た『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』というお笑い番組だったと思います。芸人さんたちがネタを披露して、10週勝ち抜いたらチャンピオンになれるっていう番組で、当時若手だった爆笑問題さんが初代チャンピオンになっていたのを覚えています。それまでにも、テレビで芸人さんはよく観ていたんですけど、寄席とかが多くて。いわゆる"若者向け"のお笑いを観たのはこの番組が初めてだったんです。 ――多感な時期に観ると、余計に衝撃的だったかと。 こんなに面白い世界があるんだ! って思いましたね。その後、『ボキャブラ天国』がブームになって、『お笑いダンクシュート』っていうNHKの番組も始まって、千原兄弟さん、中川家さん、ますだおかださんといった"西の芸人さん"を頻繁に目にするようになり、また衝撃を受けたんです。 東の方たちはずっと観てきていてすごいのはわかっていたんですけど、西にもこんなに面白い人たちがいるんだ! って。ジャリズムさんの名作コント、葬式DJなんて「すげー!」と思って観ていましたね。高校1年くらいでしたけど、そのときにはすでに芸人に憧れるようになっていました。 で、地元(広島)で同級生と素人出演型のローカル番組『たわわのTARZAN』に出るようになり、「笑わせたい欲」がどんどん出てきて。高校を卒業後に大阪のNSC(吉本総合芸能学院)に入学して、この世界に入りました。

マルナゲ|個人事業主クローズアップメディア

個人事業主向けのウェブメディア「マルナゲ」にて、上の記事の取材文を担当いたしました!

天津向さんにお話を伺うのは、ニジ★スタの対談記事以来2度目。

今回は、向さんのお仕事術やお金事情を聞きました。

思っていた以上に、“人とのつながり”のお話が多くてわたし自身すごく勉強になりました。

最近、縁を感じる場面が本当に多いもので……。ありがたやありがたや。


個人事業主さんはもちろんですが、それ以外の人でもハッとする部分があるはずです。

ちゃんと生きよう。


何卒。

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